カスタマー平均評価: 4.5
セクハラ 「タッチ、タッチ、そこにタッチ。いやん☆」と言って女の子の体に触るという行為をやったものです。小学生の時に・・。 みなさんもやりませんでしたか? 名場面はやはり「カッちゃんの死」、&「りんごです。」 初めてタッチが放送されたとき、私はまだ7歳でした。当然、内容の深い所まで理解はできませんでした。その後、何度も再放送され、その度に自分の中で作品の解釈や、場面の解釈が変わってゆきました。これ程、何度も再放送され、そして見るたびに違った解釈ができる作品も珍しいと思います。「タッチ」の名場面を挙げれば切りが無いですが、敢えて選ぶとしたら「カッちゃんの死」そして、最終回近くの「りんごです。」この2つの場面に尽きると思います。 まず「カッちゃんの死」。これはその場面その物が重い意味を持っているだけでなく、作品全体の中でも1つのターニングポイント(転換点)になっています。「カッちゃんの死」を間接的に暗示する場面が随所に出てきます。例えば踏み切りでトラックとすれ違う達也。歩道の人だかり。セミの声。「死」を暗示する表現の数々。そして「カッちゃんの死」も直接的な表現は少ない。場面の中から視聴者が読み取るしかない。唯一、言葉で表現されているのは達也のせりふ「きれいな顔してるだろ。死んでるんだぜ、それで。嘘みたいだろ。」 悲しみの表現も言葉ではなく場面で表現されている。タバコが燃え尽きても気づかない父、湯を沸かして気づかずに悄然としている(悲しく静かな様子の)母。クラシックのボリュームを上げて和也のベッドに伏せる達也。線路下でむせび泣く南。このシーンはどれもせりふではなく画面と音楽から登場人物の心情を読み取る。こういった演出は前にも後にもこの場面だけであろう。そしてこの話の後から、3人の幼馴染(おさななじみ)の話ではなく、和也の遺志を継いだ達也の努力の物語へと方向が大きく変わってゆく。そういった意味でもこの「和也の死」は大きな意味を持っている。 もう1つの名場面は、最終回近くに柏葉監督の病室を達也と南が訪れて、帰り際に達也がウイニングボールを手渡し、「何だ?」「りんごです」。達也が去った後、手触りでそれがりんごなどではなくウイニングボールだと悟る場面だろう。この場面はまず、「りんご」という表現その物が名台詞でしょう。「ボール」でもなく「プレゼント」でもなく「りんごです」という表現を使ったのがいかにも達也らしいと思います。そして、ウイニングボールを「和也」でもなく「南」でもなく、「柏葉監督」に挙げたと言うのも重要な意味を持ちます。それまで和也の遺志をついで3人の夢を果たすために頑張っていた達也が初めて「自分のため、そして自分を育ててくれた監督のため」と初めて自己主張した瞬間ではなかろうか。初めて「自分のため」に野球をすることができた、その証なのではなかろうか? 長くなりましたが、これだけ何度も再放送され世代を超えて愛されている作品が、末永く後世に語り継がれてゆくことを願ってやみません。 80年代アニメーションの大河ドラマ 『タッチ』は、単なるスポ根マンガ・アニメではない。 原作・TVアニメ版ともに、れっきとした文芸物語なのだと思う。 3年間の光り輝くような高校生活を描く長編ストーリーだからこそ、終盤に向かう辺りでは、その感慨もひとしお。 第1部では、ギャグ連発のお笑い学園モノかと思わせて、最後には衝撃的な悲劇が待っているという、心憎い見事な演出。 達也と南が高校2年〜3年になる中盤は、中休み的な要素が大きいが、その緩んだお笑い場面と、2人を取り巻く恋愛の微妙な揺らぎがあってこそ、次のクライマックスへと向かう大事なステップとなるのである。 そして、オープニングで『情熱物語』が流れ始める、第4部。 達也のたくましく成長した姿――弟のためにひたすら投げる、せつない執念――が、ただただ涙を誘う。なんていい兄貴なんだろう。そして、新体操のスターとして騒がれる一方で、そんなタッちゃんを見守る南ちゃんの複雑な想い。2人の心の中で、カッちゃんはいつまでも生きているのだ。 こんなに爽やかで熱血にあふれた作品、他を探してもないでしょう。 そして80年代だからこそ生まれ得た、その懐かしさは、いつまで経っても色褪せない。この時期の雰囲気を感じながら子ども時代を過ごした人は、タッちゃん・カッちゃん・南ちゃんとともに成長するのです。永遠に。 だから、2005年の秋に実写版で映画化されても、この感慨深さ、懐かしさ、そして大河ドラマだからこそ味わえる作品への愛着というものを、越えられるはずがない。これは、劇場版アニメ3作で失敗したのと同じで、3年間という時間の重さを、たった2時間の映画としてコンパクトにまとめられるわけがないのだ。続編のTV放映用に製作された「〜Miss Lonely Yesterday あれから、君は・・・〜」もまた、登場人物全員を出して“その後の『タッチ』”を描こうとしたが、ストーリー的には無理がある設定で尻切れトンボの感が否めないし、全体的に暗く希望もないラストで終ってしまっている。 ただ、かろうじて、最後の続編となる「CROSS ROAD 風のゆくえ」は、舞台をカリフォルニアに移して新天地へと向かう寡黙な達也の決意と、進むべき道の見つからないままスポーツ・カメラマンのアシスタントとして働く南の悩みが、当時の自分の姿と重なって、涙を禁じ得なかった。そして和也の存在も、決して忘れられてはいない。主題歌を担当した坂本サトルの歌詞「夢を叶えた人は どこへゆけばいい/夢の見つからない人は 何を仰げばいい」という箇所は、まさに真剣に悩みながら迷いながら、前へ進もうとする若者へのエールなのだ。 あと、TVアニメ版で全編にわたって流れるショパンの使い方が秀逸! もちろん、芹澤廣明氏による主題歌・挿入歌も、鼻血が出るほどかっこいい。 だから、原作全巻とTVシリーズDVD-BOXは、何度でも心の青春を謳歌したい人にとっては必須なのです。みなさん、給料はたいて、揃えましょう!! これぞさわやか青春アニメ 原作は傑作なのはどなたもご存知でしょうが、アニメの方も音楽、適材の声優陣のおかげでさわやかなものに仕上がっていると思います。 ただ、原作付きアニメはどうしてもそれと比較されるものですが、それについて言わせていただくと、途中までは原作を良い方向に更に膨らませて描いたりしいて、原作をみた直後でも「ああ、あれはこういう解釈だったのだな。」というような発見がいくつかあったりしたのですが、終盤になると急ピッチで進められていて原作のいい場面をかなり削っています。原作に対して限られた話数に追いつくような感じで無理やり終わらせています。まるでダイジェスト版のような感じでした。本当に原作に忠実に作られたなら、あと1クールぐらいは続けられたでしょう。 特典DISCでは監督と声優の三ツ矢雄二さん、日高のり子さんへのインタビューがあり当時の製作状況や個人的な恋愛感などが述べられていてなかなか面白いです。 最高のアニメのひとつ 自分の中では☆5つでは足りないくらいの満足度が今でもある。言わずもがな80年代の名アニメの一つに数えられているタッチだが、自分の中ではトップクラスの感銘を与えてくれた。リアルタイムの時は、まだ餓鬼で全ての魅力を理解できるには程遠かったが、やはり中学高校にあがった時再放送にてタッチを見た時、このドラマの本当の素晴らしさを理解できた。やはりこのアニメは同世代で無いと伝わりがたい魅力があった。そういう訳で漫画は詳しくは知らなかったので、多くのレビュアーが言うような漫画との比較不満が無く、素直な気持ちで視聴できたのはある意味幸運だったのかもしれない。数年前再放送で全て放送された時には、根性で全てビデオ録画した記憶がある。 キャラクターの設定も実にバランスが取れていた。真面目と腕白の相反する上杉兄弟、マドンナの朝倉、ムードメーカーの考太郎、クールな貴公子新田、笑いの西村、戦慄の柏葉。。特に、何が良かったかと言えば、隠れた二面性みたいなものを見せつけられた時だ。例えば、西村が最後の夏が終わった時に、プールサイドで上杉に対して真剣な表情をしたりしたのが良い例だ。ああいうお笑いキャラが真顔になる瞬間というのは何とも言えなかった。或いは柏葉監督が最後の最後の采配で良心を覗かせた瞬間も、分かってはいたけど、かなり衝撃を受けた記憶がある。勝気な新田の妹が泣きじゃくる吉田に対して投げた言葉なんかも、意外性という意味では印象的だ。 自分の中では、タッチの魅力というのは王道的な部分ではなく、上記のような微妙に外れた部分で感銘を受けた。それは、ストーリーでも言える事で一番クライマックスなシーンは、多分最後の地区予選決勝の新田VS達也の死闘を挙げがちだが、自分では2年の夏の西村VS達也の延長戦の方が感動した。やはり上記に共通するが、新田は、やはり最後まで新田だったけど、この時の西村は完全にお笑いの西村では無かった。あの微妙な違いがぞくぞくさせた記憶がある。 後は、タッチのもう一つの魅力は何と言っても、珠玉の主題歌と挿入歌だろう。勿論既にタッチのCDは所有済みなのだが、これらもアニメあっての歌だった。これもやはり語るには「タッチ」と言いたい所だが、自分の中では一番なのは「情熱物語」だ。サビに向かう部分のギターリフが何とも言えず、最後の甲子園という情感を沸き立たせる。その他、この上ない物悲しさの「青春」「君がいなければ」等捨て曲が殆ど無いのもこのアニメを密かに支えていたに違いない。当然音楽監督だった芹澤氏の功績も大きいし、80年代だからこそこの氏が手がけることができ、結果名曲になったのだろう。 私感では、脇役の隠れた一面性もある意味見物だと思う。それとストーリー、音楽共に正に80年代の代表アニメと同時にこの時代でしか作れなかった作品でもある。
|